Archive for 8月, 2018

仁科幸恵展に行ってきました

土曜日, 8月 25th, 2018

仁科幸恵さんからご案内のはがきをいただき、代官山のギャラリー子の星に行ってきました。

せっかく代官山まで来たのだから、少しはぶらぶら歩きを楽しもうか、とも思ったのですが、東急東横線の代官山駅の北口改札から直接つながっている、歩道橋の上を通って、できるだけ最短距離でギャラリーに向かうことにしました。ギャラリー子の星に行くのは、今回で三回目なので、道に迷う心配は全くありませんでしたが、とても暑い日で、まるで蒸し風呂の中を歩いているようでした。途中で熱中症になって、展示会場までたどり着けないのではないかと、そちらの方が心配でした。

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ギャラリーの入口

入り口の扉を開けると、仁科さんご本人が出迎えてくださいました。展示室は冷房が効いていて涼しく、まずはそれでホッとしました。

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「ハハコハナ」 油彩・パネル

案内のはがきにも使われていた母子の絵が展示室の正面に展示されていました。西洋絵画でよく見かける、典型的な「聖母子像」とよく似たポーズです。仁科さんは、オーソドックスなモチーフをまっすぐ真面目に描かれておられるようので、もし、他の絵もみんな同じような描き方をされていたらどうしようと、ギャラリーに着くまでは、少々気が重く感じていたのでした。

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「母。」 油彩・パネル

ところが、奥の小部屋に入ってみると、ご自身のお母さんを描かれたという、こんな絵も展示されていました。広いショッピングセンターを歩き疲れた足を、椅子に座って休ませているところなのだそうです。目が悪いとのことで、本を離して読んでいるのだそうです。それは、私も同じなのでよくわかります。さきほどの絵がよそ行き顔だとすると、こちらは日常を描いた普段着の絵なので、それでまた、なんだかホッと肩の力が抜けました。しかしながら、これこそが現代では「聖母像」なのかも知れないと、ふとそんな気もしました。

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「こももちゃん」 油彩・パネル(個人蔵)

一方、こちらは、お客さんに依頼されて描いた絵なのだそうです。まるで今にも動き出しそうに良く描かれていますが、首には青いバンダナを巻いてもらって、少し、おすまし顔のようです。

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「テツ」 水彩・紙

同じ動物でも、こちらは以前、ご自宅で飼っていた猫だそうです(タイトルでも名前を呼び捨て…)。こちらは、少しいたずらっぽくて、なれなれしい普段着の顔のようです。仁科さんは人間の顔だけでなく、動物の顔までも、よそ行き顔と普段着の顔とを描き分けれていらっしゃるのかと、感心しました。

椹木野衣「感性は感動しない-美術の見方、批評の作法」を読みました

日曜日, 8月 5th, 2018

椹木野衣「感性は感動しない-美術の見方、批評の作法」を読みました。

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たまたま時間が空いたので、ふらっと本屋に行って、特にあてもなく書棚を見ていたのですが、ふとこの本のタイトルが気になったので、2,3ページめくったところ、いきなり岡本太郎の次のような言葉が出て来たので、思わず買うことに決めてしまいました。つまり、この本との出会いは、たまたま偶然というわけです。

「岡本太郎は感性について次のように言っている。

感性をみがくという言葉はおかしいと思うんだ。
感性というのは、誰にでも、瞬間にわき起こるものだ。
感性だけ鋭くして、みがきたいと思ってもだめだね。
自分自身をいろいろな条件にぶっつけることによって、
はじめて自分全体に燃え上がり、
広がるものが感性だよ。
(『強く生きる言葉』イーストプレス24ぺージ)」

家に帰る途中の電車の中で、さらに読み進めたのですが、ふむふむなるほど、やっぱりそうか、と思うことが、あちらこちらに書かれていたので、思わず「良い本を買った」と思ったのでした。

さて、この「良い絵に会ってきました」というブログでは、美術館やギャラリーに出かけて行き、いろいろな絵を拝見しては、家に帰って、拝見した絵の感想を書く、ということを勝手に続けているのですが、自分としては絵の素人なので「批評」などというのは、とてもとても大変におこがましいと思っています。どちらかというと、頑張って作品を作り続けておられる作家の方たちに少しでも「応援」や「励まし」になれば、と思って始めたことですが、それさえも、押しつけがましいのではないかと、常々感じています。

ただ、絵を拝見させていただき、それを短いながらも文章にする、という作業を繰り返しているわけなので、いわゆる「批評」というものと、結果的には、やっていることは似ているかもしれません。それで、どの段階で言葉が出てくるものなのか?と、わが身を振り返ってみたところ、必ずしも美術館やギャラリーにいるときではない、というのは確かです。家に帰る途中の電車の中であったり、家に帰ってからも何も言葉が浮かばず、とりあえずパソコンに向かってみて、展覧会のタイトルだけでも書いておこうか、というときになって、ようやく言葉が浮かんで来り、あるいは一晩寝て、「あっ、もしかするとこういうことかもしれない」というふうに、何かに気付いてみたり、といったことの繰り返しなのです。

ところが、公募展の最後に行われる講評などをお聞きしていると、先生方は、つぎからつぎへと、絵に関する言葉を、その場で紡ぎ出しておられるように見える。

このような違いは、自分は絵に関係した教育を受けているわけでもないし、ましてや職業にしているわけでもないので、こういうことについては、極めて鈍い人間だからであろう。うすうすながら、そのようにして納得していたのですが、この本を読ませていただき、職業として批評をされている方でも、絵をみるときには渾然一体とした「かたまり」として見ていて言葉にしない、いざ文章を書く談になって、言葉として出力するものらしい、ということがわかっただけでも、大変な収穫でした。

比べること自体、大変おこがましいのですが、岡本太郎によれば、「誰でもがそれぞれの感性を持っている」ということのようなので、的外れなことも多いとは思いますが、なにとぞ大目にみていただきたいと思っています。

滝本優美展に行ってきました

土曜日, 8月 4th, 2018

銀座のコバヤシ画廊で開催中の滝本優美展を見てきました。この個展は、「画廊からの発言 新世代への視点2018」の一環として開催されたものだそうです。

地下鉄銀座駅のA12番出口の階段を上り、松屋銀座の前に出ました。東京でも毎日毎日、最高気温が35℃を越えるような暑さが続いていますが、今日も一段と暑い。暑い中を汗をかきかき歩いて、表通りから二本目の路地を入ったところ、すぐにコバヤシ画廊の看板が見えてきました。

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滝本優美展の看板

階段で地下におりたところが、個展の会場の入り口になっていました。展示会場はさすがに冷房がきいて涼しく、やれやれほっとしました。滝本優美さんが在廊されており、直接お話しを伺うことができました。

滝本さんは、以前”YUMI”という画号を使っておられましたが、今年の4月からは本名の「滝本優美」を用いて、作品を発表されることにしたそうです。大学院を卒業されて、いよいよ作家としての覚悟を決められたのかもしれません。一昨年のJINEN GALLERYでの「YUMI個展」以来、今回で2回目の個展だそうです。

メイン展示会場の壁には、100号スクエアの絵が6枚展示されていました。いずれのモチーフとも、ご自宅付近(大崎)の風景を元にされたとのことです。基本的な手法自体は二年前から変わっていないのだそうです。

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この作品はビルの間に夕陽が沈むところだそうです。太陽の色と形がやわらかく描かれており、都会の一日の穏やかな終わりが感じられます。

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こちらは、夜の風景でしょうか? 柱の向こう側の、暗闇のさらに向こうにかすかな家の光が見えるようです。

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坂道の登り口でしょうか? 坂道の少し登ったところは横道もあるようです。あの坂道の向こうにはどんな景色が待っているのか、思わず歩いて登ってみたくなるような道です。

身近な街の風景の中から、さりげなく切り取られた景色が、思い切り単純化され再構成されて、それでもなお画面に上に、その場の雰囲気を残すだけでなくて、滝本さんの作品に特有な新たな街の風情が醸し出されているように感じられました。元の景色は大崎なのかもしれませんが、エッセンスのみ取り出すことで、誰にとっても身近な街かどの風景に重ね合わせることができそうです。