沖元かおる展-輝ける闇-に行ってきました。

沖元かおる展-輝ける闇-を見に、Gallery 美の舎に行ってきました。

新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、美術館もギャラリーも、長らくお休みの日々が続いてきました。5月の下旬には、一応、緊急事態宣言が解除されましたが、いまだに、その日の新たな感染者数がトップニュースとなるような日々が続いています。

6月に入ってから、ちらほら、再開するギャラリーが増えてきたようです。沖元さんから届いたDMにも、当初、5月5日から開催する予定だったようですが、実際は約一か月遅れの6月2日からの開催に変更されたとのこと。ギャラリー再開後、先陣を切っての個展のようです。千代田線の根津駅から、言問通りを歩いて2-3分ほどで、ギャラリーの入り口の案内が見えてきました。

ギャラリー美の舎の入り口

沖元さんは、このところ毎年のように個展を開いておられますが、毎回毎回、別のギャラリーで開催されています。昨年の新宿の個展会場では、たどり着くのに少々苦労しましたが、今年はとてもわかりやすく、すんなりと会場に入ることができました。

個展の案内

沖元さんの個展には、毎回テーマが設定されています。今年は戦争がテーマなのだそうです。ご本人によるステートメントは次のとおり。
「戦場の兵士は、いかに死ぬかを考え、生きることは考えない。
かつて、そして現在もそんな現実が存在する。
戦争を描く為に2年費やした。死とは生命と同じだけの質量を持つ力があり、相反し、かつ同等のものであると腑に落ちた。
展示の作品は、平面の可能性にあって、単純化した数学的な見方や技法を越える、画面のふくよかさを重んじて描画した。
社会的メッセージではなく、それに反する作品として描いた。」

少女像 油彩

毎回異なるのは個展の会場だけでなく、水彩、アクリル、油彩、場合によっては、セメントまで、画材についても何でも有りです。普通のキャンバスの上に、普通の油彩絵の具で描かれている、というごく当たり前のことに、沖元さん場合、何故だか新鮮さを感じてしまいました。一昨年の個展では、幾何学的な対称性が作品のあちらこちらに見られていたのですが、例えばこの作品では幾何学的な要素は一切排除されており、「ふくよかさ」「やわらかさ」が感じられます。画材だけではなく、描くスタイルも変幻自在。

垂れ下がる神

この作品はDMにも使われていたものなので、恐らく今回の目玉作品といっても良いのでしょう。具象画と抽象画の境界もあいまいで、そもそもそのような分類自体にも、まったく頓着されていないようです。このような作家さんも珍しいような気がします。写真ではわかりにくいのですが、画面の中央に描かれている黒いひらひらは、額の表面を覆うアクリル板のほうに描かれています(現代美術にルール違反はない?)。実物をみると、不思議なことに立体感が強調されていました。奥のほうから差し込む光から、未来への希望が感じられました。

「問題なのは、会場でもなく、画材でもなく、スタイルでもない。何を表現するのかなのです」と沖元さんはおっしゃりたいのかもしれません。新型コロナウィルス感染症にしても、戦争にしても、最後には多くの死が待っているという点では、似ているかもしれません。感染拡大を食い止めるためとはいえ、お葬式もままならないままに、ただただ穴を掘って、次々に埋葬されていく、最近見たニュース写真を思い出しました。アーティストの敏感な感性は、パンデミックの向こうに、戦争の予兆を感じたのかもしれません。願わくば、どうか、この芸術家の予感が当たりませんようにと、祈るばかりでした。