Archive for the ‘個展’ Category

沖元かおる個展「表と裏」(作為の無作為)に行ってきました

日曜日, 12月 6th, 2020

あいにくの雨の中、京橋のギャラリー檜で開催中の、沖元かおる個展「表と裏」(作為の無作為)に行ってきました。お天気のせいなのか、あるいは新型コロナウィルス第三波の襲来により、外出を控えている人が多いためなのか、いつもと比べると、街の人通りが極端に少ないように感じられました。沖元さんの個展は、6月に、根津のギャラリー美の舎に伺ってから、今年2回目です。

ギャラリー檜の入り口。路面が雨で濡れています。

エレベータで4階へ、会場に入ると、最初に、色鮮やかで心地よさげな水彩の4作品が目に入ってきました。即興的でスピード感のある作品は、水彩画の技法の特徴が良く活かされているようです。ちなみにこれらの作品は、お台場の風景を描いたものなのだそうです。

Twilight and Dawn(上), Tokyo Day Light(下)

この作品の横には、展覧会のコンセプトが書かれていました。

「表と裏」(作為の不作為)は、フレームのガラス板の裏からただ線を引く事から始まっている。
表を表層意識(理性)、裏を潜在意識に見立て、画面を構成している今回の作品は、平面の中身を表面から探る実験であり、この構成の効果が絵画としてどのように「見える」のか試してみた展示である。

さてさて、一体、何のことでしょうか?

Fall Rainbow

沖元さんのお話によると、この作品が一連の「始まり」の作品なのだそうです。右半分は、フレーム表面の透明板の裏側から、アクリル絵の具でただ縦に線を引いてみただけ、フレームの中身は白い発泡スチロールの板のまま。一方、左側の半分は、以前に描いた油絵があったので、その上にただ黒い油絵具を塗ってみた、とのこと。これでも、作品になるんだ、というのが、沖元さんの発見だったのだそうです。

右側の世界と左側の世界は、ずいぶんと異なっています。片方は色とりどりの明るい世界、もう片方は黒一色の暗い世界。それを左右に組み合わせて、一つの作品として構成してみたら、作品として成立していた、というのです。

沖元さんは、これまでにも、いろいろな素材を使って作品を制作してきました。以前は、琉球ガラスのカレットを使った作品を拝見したことがあります。色鮮やかでキラキラしたガラスの破片です。一方、セメントをキャンバスに塗って、作品を構成されたこともあります。セメントはざらざらとして灰色一色です。素材としては、ずいぶん対照的。

技法としてずいぶんと幅が広いなあ、もしかすると、いろいろな素材を取り込むことに挑戦しているのかなあ、などと、その時はその程度のことと解釈していました。

WetなFlower

こちらの作品も似たような構成とはいえ、印象はずいぶん異なっています。色数は少なめで、右側半分は白い花が檻の中に閉じ込められているようにも見えてしまいます。私はふと、先日逮捕されてしまった香港の若者たちのことを思い出してしまいました。彼らは、今ごろ、どうしているのでしょうか?

とはいえ、よく見ると白い花は、檻からはみ出ようとしているところのようです。左側半分も、真っ黒な画面とはいえ、表面に、かすかに何がしかの表情がある。何よりも、その黒い絵の具の下には、かつて間違いなく、別の絵があったはずなのです。

表と裏。表層意識と潜在意識。過去と未来。色とりどりな世界と、白黒の世界。知性と感性。昼と夜。善と悪。男と女。知らず知らず、いつの間にか、勝手に分類して、勝手に名前を付け、勝手に納得してしまって、それ以上は良く見ないし、それ以上は深く考えようともしない。ともすれば、私たちには、そんな傾向があるようです。

「人間はそんなに単純に割り切れるものではありませんよ。両方あって当たり前。少なくとも私はそうです。」という声が、どこからともなく聞こえてきたような気がしました。

沖元かおる展-輝ける闇-に行ってきました。

水曜日, 6月 10th, 2020

沖元かおる展-輝ける闇-を見に、Gallery 美の舎に行ってきました。

新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、美術館もギャラリーも、長らくお休みの日々が続いてきました。5月の下旬には、一応、緊急事態宣言が解除されましたが、いまだに、その日の新たな感染者数がトップニュースとなるような日々が続いています。

6月に入ってから、ちらほら、再開するギャラリーが増えてきたようです。沖元さんから届いたDMにも、当初、5月5日から開催する予定だったようですが、実際は約一か月遅れの6月2日からの開催に変更されたとのこと。ギャラリー再開後、先陣を切っての個展のようです。千代田線の根津駅から、言問通りを歩いて2-3分ほどで、ギャラリーの入り口の案内が見えてきました。

ギャラリー美の舎の入り口

沖元さんは、このところ毎年のように個展を開いておられますが、毎回毎回、別のギャラリーで開催されています。昨年の新宿の個展会場では、たどり着くのに少々苦労しましたが、今年はとてもわかりやすく、すんなりと会場に入ることができました。

個展の案内

沖元さんの個展には、毎回テーマが設定されています。今年は戦争がテーマなのだそうです。ご本人によるステートメントは次のとおり。
「戦場の兵士は、いかに死ぬかを考え、生きることは考えない。
かつて、そして現在もそんな現実が存在する。
戦争を描く為に2年費やした。死とは生命と同じだけの質量を持つ力があり、相反し、かつ同等のものであると腑に落ちた。
展示の作品は、平面の可能性にあって、単純化した数学的な見方や技法を越える、画面のふくよかさを重んじて描画した。
社会的メッセージではなく、それに反する作品として描いた。」

少女像 油彩

毎回異なるのは個展の会場だけでなく、水彩、アクリル、油彩、場合によっては、セメントまで、画材についても何でも有りです。普通のキャンバスの上に、普通の油彩絵の具で描かれている、というごく当たり前のことに、沖元さん場合、何故だか新鮮さを感じてしまいました。一昨年の個展では、幾何学的な対称性が作品のあちらこちらに見られていたのですが、例えばこの作品では幾何学的な要素は一切排除されており、「ふくよかさ」「やわらかさ」が感じられます。画材だけではなく、描くスタイルも変幻自在。

垂れ下がる神

この作品はDMにも使われていたものなので、恐らく今回の目玉作品といっても良いのでしょう。具象画と抽象画の境界もあいまいで、そもそもそのような分類自体にも、まったく頓着されていないようです。このような作家さんも珍しいような気がします。写真ではわかりにくいのですが、画面の中央に描かれている黒いひらひらは、額の表面を覆うアクリル板のほうに描かれています(現代美術にルール違反はない?)。実物をみると、不思議なことに立体感が強調されていました。奥のほうから差し込む光から、未来への希望が感じられました。

「問題なのは、会場でもなく、画材でもなく、スタイルでもない。何を表現するのかなのです」と沖元さんはおっしゃりたいのかもしれません。新型コロナウィルス感染症にしても、戦争にしても、最後には多くの死が待っているという点では、似ているかもしれません。感染拡大を食い止めるためとはいえ、お葬式もままならないままに、ただただ穴を掘って、次々に埋葬されていく、最近見たニュース写真を思い出しました。アーティストの敏感な感性は、パンデミックの向こうに、戦争の予兆を感じたのかもしれません。願わくば、どうか、この芸術家の予感が当たりませんようにと、祈るばかりでした。

沖元かおる展 -出来事と事件-に行ってきました

土曜日, 4月 13th, 2019

「沖元かおる展-/ Works on Paper-出来事と事件-」を見に、ギャラリー「つぎのカーブ」に行ってきました。

地下鉄丸の内線、新宿御苑前駅の3番出口を出て、大通り(新宿通り)からローソンの横の脇道に入って少し行くと、右手にラーメン屋さんがあり、その横の壁に、「沖元かおる展」の案内を見つけました。矢印が示す方向にある階段を登れ、ということのようです。

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通りに面した壁の案内

階段を3階まで登ると、マンションの一室の扉に、いろいろなものが雑多に貼ってありました。どうも、ここがギャラリーの入口の様子です。ちょっと勇気を出して扉を開けて、中に入ってみました。

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ギャラリーの入口

ギャラリーといっても、内部は普通のワンルームマンションのようです。玄関には段があり、スリッパに履き替えて、室内に入ると沖元さんと、ギャラリストの都守さんが出迎えてくださいました。都守さんご自身も作家さんなのだそうです。このギャラリーを開いてもう7年とのことでした。

ぐるりと室内を一回りして、一通り作品を拝見しました。これまで拝見した沖元さんの個展では、「井の頭公園のバイオリニスト」がテーマだったり、「抽象画」だったりしたのですが、今回の個展では、特に決まったテーマは無いように見えます。沖元さんにお聞きしたところ、壁に貼られた一枚の紙に沖元さんのメッセージが書かれているので、読んでみてほしいとのこと。

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沖元さんのメッセージ

なるほど、「これまで何かにとらわれていたので、今回はそれを壊してみた」そうなのですが、その一方で、表現したいものについては、バイオリニストのときから、ずっと一貫して変わっていないのだそうです。

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フラワーベース

この作品は、包み紙に描いたそうですが、紙の端が破れたままですし、梱包に使われていたテープもそのまま残っています。いつものことですが、画材へのこだわりの無さにはびっくりさせられます。しかも、それが奇をてらったもの、とは感じさせないのが不思議です。それが沖元さんの「とらわれない」ということなのかもしれません。とはいえ、一方で、そこには、何かしらの必然性があるようにも思えてきます。

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ハッピードローイング

例えば、キャンバスに油絵の具で作品を描いて、きちんと保存すれば100年後でも、200年後でも鑑賞に堪える可能性が高いと思うのですが、そんなことには、一切重きを置いていらっしゃらない。そうではなくて、その時、一瞬に感じたことを、そのまま何とかして画面に表現することに苦心をしていらっしゃるように見える。だから、いちいち下絵など描いていられない。いちいち木枠にキャンバスなどを貼ってるうちに、折角の貴重な一瞬が消えてしまう。

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狙いネコ

それは沖元さんのこだわりでもあり、闘いでもあり、作品の魅力にもなっているように思われます。

その一方で、ふと、沖元さんの場合、「とらわれない」ことに、「とらわれる」必要も、あまり無いのではないかとも、思われました。例えば、「バイオリニスト」に「とらわれていた」時の個展では、展示ギャラリーの部屋中にバイオリンの音が鳴り響いているように感じられて、びっくりしました。あれは、「とらわれていた」というよりも、むしろ「共鳴していた」、と表現したほうが適切かもしれません。そして、それは沖元さんにしかできないような展示だったような気がしました。

青木三篠個展-粛々たるおしまいを僕らに-に行ってきました

土曜日, 11月 17th, 2018

青木三篠個展-粛々たるおしまいを僕らに-を見に、コート・ギャラリー国立に行ってきました。JR中央線、国立駅のnonowa口から出て、食料品売り場を抜けて、道路を渡るとすぐに、個展の会場が見えてきました。歩いて1分ほど。

青木さんの個展を拝見するのは、ギャラリーb.トウキョウでの「珊瑚城の夢は醒めない」以来です。

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個展会場の入口

個展会場に入る手前のロビーにも一枚絵が展示されていました。この絵は、旧約聖書のアブラハムとその息子イサクの物語を描いたものだそうです。神の命に従って、息子を犠牲にしようとするシーンでしょうか? タイトルの「Q13」は、イサクをもじってつけたとのこと。

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Q13

展示会場に入ると、青木さんご本人が出迎えてくださいました。個展のタイトルともなった「粛々たるおしまいを僕らに」は、今年の7月の豪雨のときに、出身地の広島県での多くの被害が伝えられる中で、まるで何もなかったかのように毎日を粛々と暮らすご自身に、歯がゆい思いをしながら、この作品を描いていたとのことです。背景の十字架に見えるのは窓の枠だそうですが、犠牲者への祈りを表しているようにも見えます。くっきりとしたコントラストや、左右対称な画面構成は、青木さんのこれまでの作品には、あまり見られなかったように思いました。

ちなみに、画号として用いておられる「三篠(みささ)」は、ご実家の近くの三篠神社から取られたとのこと。

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粛々たるおしまいを僕らに

「正方形のつくり方」という作品は、「博士の愛した数式」という小説からヒントを得たそうです。そういわれてみるとこの絵は、事故のために短い時間しか記憶を保つことができなくなってしまった数学者の博士が、新しくやってきた家政婦さんの息子の頭をなでて、「良い形だ」といって平方根を意味する「ルート」と名付けるシーンを想い出させます。小説の中では、家政婦さんが博士の話に感銘を受けて、身近な数字のなかから、素数を見つけ出しては喜ぶというシーンがありましたが、青木さんも、日常に潜んでいる、素数を見つけ出して、絵のモチーフに仕立ててしまうのが上手なのかもしれません。上手というよりも、お見事です。この小説の内容を、「正方形のつくり方」ととらえてしまうこと自体、「あっ、そういう読み方もできるの?」と思わず感心してしまいました。例えば、地面にうっすらと描かれている半円形は、博士の愛した数式である、e+1=0を連想させるように、青木さんの絵には、さりげなく秘密が隠されているようです。

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正方形のつくり方

今回の個展では、油彩画だけではなく、線画(ドローイング)の作品も数多く展示されていました。この作品は、まさに、身近な紙切れから、正方形を作ろうとしているところなのかもしれません。後ろには、赤い花がたくさん描かれています。

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ドローイングの作品

青木さんは、大学を卒業されて、社会人になられたとのこと。社会に出てクルクル回っているうちに、いつの間にか角がとれて丸くなってしまうのが普通で、それはそれで大切なことかもしれません。

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ドローイングの作品

でも作品を見る者にとって、青木さんの作品は、なぜだか、この絵に描かれた小さなろうそくの灯のように、心を照らしてくれるものがあるような気がしています。どうか「粛々とおしまい」にしたりしないで、またの機会には、是非、青木さんが見つけられた、新しい素数や、正方形を拝見できたらいいな、と楽しみにしています。

仁科幸恵展に行ってきました

土曜日, 8月 25th, 2018

仁科幸恵さんからご案内のはがきをいただき、代官山のギャラリー子の星に行ってきました。

せっかく代官山まで来たのだから、少しはぶらぶら歩きを楽しもうか、とも思ったのですが、東急東横線の代官山駅の北口改札から直接つながっている、歩道橋の上を通って、できるだけ最短距離でギャラリーに向かうことにしました。ギャラリー子の星に行くのは、今回で三回目なので、道に迷う心配は全くありませんでしたが、とても暑い日で、まるで蒸し風呂の中を歩いているようでした。途中で熱中症になって、展示会場までたどり着けないのではないかと、そちらの方が心配でした。

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ギャラリーの入口

入り口の扉を開けると、仁科さんご本人が出迎えてくださいました。展示室は冷房が効いていて涼しく、まずはそれでホッとしました。

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「ハハコハナ」 油彩・パネル

案内のはがきにも使われていた母子の絵が展示室の正面に展示されていました。西洋絵画でよく見かける、典型的な「聖母子像」とよく似たポーズです。仁科さんは、オーソドックスなモチーフをまっすぐ真面目に描かれておられるようので、もし、他の絵もみんな同じような描き方をされていたらどうしようと、ギャラリーに着くまでは、少々気が重く感じていたのでした。

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「母。」 油彩・パネル

ところが、奥の小部屋に入ってみると、ご自身のお母さんを描かれたという、こんな絵も展示されていました。広いショッピングセンターを歩き疲れた足を、椅子に座って休ませているところなのだそうです。目が悪いとのことで、本を離して読んでいるのだそうです。それは、私も同じなのでよくわかります。さきほどの絵がよそ行き顔だとすると、こちらは日常を描いた普段着の絵なので、それでまた、なんだかホッと肩の力が抜けました。しかしながら、これこそが現代では「聖母像」なのかも知れないと、ふとそんな気もしました。

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「こももちゃん」 油彩・パネル(個人蔵)

一方、こちらは、お客さんに依頼されて描いた絵なのだそうです。まるで今にも動き出しそうに良く描かれていますが、首には青いバンダナを巻いてもらって、少し、おすまし顔のようです。

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「テツ」 水彩・紙

同じ動物でも、こちらは以前、ご自宅で飼っていた猫だそうです(タイトルでも名前を呼び捨て…)。こちらは、少しいたずらっぽくて、なれなれしい普段着の顔のようです。仁科さんは人間の顔だけでなく、動物の顔までも、よそ行き顔と普段着の顔とを描き分けれていらっしゃるのかと、感心しました。

滝本優美展に行ってきました

土曜日, 8月 4th, 2018

銀座のコバヤシ画廊で開催中の滝本優美展を見てきました。この個展は、「画廊からの発言 新世代への視点2018」の一環として開催されたものだそうです。

地下鉄銀座駅のA12番出口の階段を上り、松屋銀座の前に出ました。東京でも毎日毎日、最高気温が35℃を越えるような暑さが続いていますが、今日も一段と暑い。暑い中を汗をかきかき歩いて、表通りから二本目の路地を入ったところ、すぐにコバヤシ画廊の看板が見えてきました。

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滝本優美展の看板

階段で地下におりたところが、個展の会場の入り口になっていました。展示会場はさすがに冷房がきいて涼しく、やれやれほっとしました。滝本優美さんが在廊されており、直接お話しを伺うことができました。

滝本さんは、以前”YUMI”という画号を使っておられましたが、今年の4月からは本名の「滝本優美」を用いて、作品を発表されることにしたそうです。大学院を卒業されて、いよいよ作家としての覚悟を決められたのかもしれません。一昨年のJINEN GALLERYでの「YUMI個展」以来、今回で2回目の個展だそうです。

メイン展示会場の壁には、100号スクエアの絵が6枚展示されていました。いずれのモチーフとも、ご自宅付近(大崎)の風景を元にされたとのことです。基本的な手法自体は二年前から変わっていないのだそうです。

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この作品はビルの間に夕陽が沈むところだそうです。太陽の色と形がやわらかく描かれており、都会の一日の穏やかな終わりが感じられます。

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こちらは、夜の風景でしょうか? 柱の向こう側の、暗闇のさらに向こうにかすかな家の光が見えるようです。

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坂道の登り口でしょうか? 坂道の少し登ったところは横道もあるようです。あの坂道の向こうにはどんな景色が待っているのか、思わず歩いて登ってみたくなるような道です。

身近な街の風景の中から、さりげなく切り取られた景色が、思い切り単純化され再構成されて、それでもなお画面に上に、その場の雰囲気を残すだけでなくて、滝本さんの作品に特有な新たな街の風情が醸し出されているように感じられました。元の景色は大崎なのかもしれませんが、エッセンスのみ取り出すことで、誰にとっても身近な街かどの風景に重ね合わせることができそうです。

田中美代子展「余暇」に行ってきました

土曜日, 5月 26th, 2018

“Roppongi One Shot Art Week”の一環として開催されていた田中美代子展「余暇」に行ってきました。会場は、国立新美術館の入り口近くにある六本木605画廊です。建物の表通りに面したところには、全く案内が出ていないので、いつも少々不安になるのですが、建物に入ってエレベーターに乗り、6階でおりると、605号室の扉に案内の紙が貼ってあったので、やれやれと安心しました。

展示会場に入ると、KURUM’ART contemporaryの車さんと、作家の田中さんに迎えていただきました。

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桜風1

おや、このキャラクターにはどこか見覚えがあります。尾形光琳や俵屋宗達が描いた、風神雷神図にそっくりです。でも、何かちょっと変ですね。なぜだか、胸にはおっぱいがあります。それに、桜吹雪の中で、なんだか楽しそうに走り回っている子供のようにも見えます。

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風神雷神

こちらの絵のタイトルは、「風神雷神」そのものでした。でも、こちらはポーズや表情がちょっと可愛らしいのですが、今一つ、迫力はありません。ちょっとお仕事は休憩中? それともお互いに目配せしながら、本番前のリハーサルの最中でしょうか?

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旅の相談

あらあら、こうなってしまうと、単に世間話に花を咲かせているだけ? にも見えてしまいます。

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風神

田中さんによると、以前は関節人形の絵を描かれていたそうなのですが、あるとき風神雷神の絵を描いたところ、予想以上に評判が良く、もっと見てみたいという方が多かったそうなので、昨年は、風神雷神の絵ばかりで、個展を開かれたそうです。すると、今度は、風神雷神以外の絵も見て見たい、との要望もあったとか…

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花見1

そんなわけで、今回は、風神雷神以外の絵も描かれたとのが、この絵なのだそうです。恐らく何か別の神様たちなのだろう、とは想像するのですが、なんだかそれぞれ、思い思いにお花見を楽しんでいるようです。

思わずふっと肩の力が抜けるような、楽しいひと時を過ごさせていただきました。

沖元かおる個展-OPERAN-に行ってきました

日曜日, 4月 15th, 2018

沖元かおる個展-OPERAN-を見に、銀座にあるギャラリーSTAGE-1に行ってきました。最寄りの駅ではありませんでしたが、地下鉄の京橋駅から、他のギャラリーに立ち寄りながら、ぶらぶらと歩いて行くと、左手に、古いレンガ造りのビルの前に、案内の看板が出ていました。

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個展会場入り口の看板

展示会場に入って、まず気が付いたことは、今回の個展には、バイオリニストを描いた作品が一枚もないということでした。沖元さん、と言えばバイオリニストの画家という印象が強かったので、意外に感じました。沖元さんご本人に伺ったところ、「バイオリニストは自分の中では、やり尽くした」とのことでした。

今回の個展のタイトル、OPERANというのは、スェーデン語でオペラのことだそうです。スェーデン滞在中にたまたま目にした、オペラのポスターからインスピレーションを得たとのことです。

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To be or not to be

この作品のタイトルは、シェイクスピアの「生きるべきか死ぬべきか」から来ているようです。二種類の色の異なるバラが描かれていますが、それぞれの作品の中にも、二種類のバラが異なる色と、片方は輪郭のみで描かれています。時間の流れを示すものかも知れませんし、生の中にも死があり、死のなかにも生がある、という二重性を意味しているようにも見えます。技法としては、透明なアクリル板の裏側に、異なる色で重ね描きされているようです。今回の個展の印象を一言で表すと、「対称性」ということでしょうか。

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鏡の中の鏡

今回の個展では、バイオリニストは描かれていませんが、作品から弦楽器の音は聞こえてきます。「鏡の中の鏡」は、静かな深みを感じさせる音楽で、ピアノを伴奏にして弦楽器で演奏されるようです。この作品は左右対称に描かれていますが、バイオリンの音階のゆっくりとした上がり、下がりが時間に対して対称であるという、この曲の特徴が表現されているのかもしれません。

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OPERAN Dear

Dearというタイトルのオペラがあるのか、どうかは、知らないのですが、この作品も左右対称です。絵画の中に対称を持ち込むと、画面が安定するのかもしれませんが、そのかわりに、やや単調な印象も受けます。ところが、この作品は、表面がごつごつしていて、単調さを感じさせません。シンプルな曲ほど、楽器の音色そのものの美しさが際立つのに、似ているのかもしれません。沖元さんによると、マチエールを出すために素材としてセメントを使っているとのこと。製作中に、セメントが崩れ落ちてしまうこともあったそうです。沖元さんの発想の自由さ、大胆さと行動力は、モチーフが変わっても健在のようでした。

仁科幸恵展に行ってきました

日曜日, 10月 22nd, 2017

仁科幸恵さんから、ご案内のダイレクトメールをいただき、代官山のギャラリー子の星に行ってきました。仁科さんは、昨年の7月にも同じ場所で個展を開催されました。ギャラリー子の星に伺うのは今回が2回目です。

台風の接近で、雨が降りしきる坂道を、昨年の記憶を頼りに歩いて行くと、こじんまりしたギャラリーの前にでました。ガラスの扉をあけると、仁科さんご本人が出迎えてくれました。

展示作品を一通り見て回ると、昨年の個展のときに見た絵とは異なっており、すべて新作とのことでした。大半の作品は、若い女性を描いたもの。仁科さんによると、モデルさんは学生自体からのお友達だそうです。

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ほおづえ, パネル・油彩 227×227

若い女性の顔が、写実的に丁寧に描かれています。顔や手のつやからは若々しさを感じる一方で、ほおづえをついたポーズからは、何かをややシニカルに、あるいは冷ややかに見ているようにも見受けられます。ついつい、いったい何を見ているのか、気になってしまいます。

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心の奥, パネル・油彩 333×242

こちらの絵は、ピンク色の背景に、若い女性の顔が描かれています。ただし、顔はややうつむき加減で、何かを見つめている様子。「心の奥」というタイトルから、見つめているのは、自身の心の中のようです。

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静かなひととき, パネル・油彩 652×530

こちらの絵は、一見、モデルさんにポーズをとってもらい、写実的に写したようにも見えます。とはいえ、その眼は何か遠くをしっかりと見つめている様子。しとやかさの中に、芯の強さを感じさせる作品です。

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正月に会った猫, パネル・油彩 227×227

この絵は、ご自宅の近くに住む野良猫を描いたとのことです。「迎春」のおめでたい正月飾りをバックにしていますが、ただならぬすごい迫力の目つきでこちらをにらんでいるようです。

若い女性や猫などをモチーフにして、あくまでも写実的な技法で描きながら、仁科さんの絵には、単に「美しい」とか「かわいらしい」といった形容だけには収まりきれない、ただならぬ「何ものか」が、あくまでもさりげない形で漂っている、そんなギャップに魅力があるようです。

山口俊朗展–2017 断面”Cross Section”–に行ってきました

日曜日, 5月 28th, 2017

山口俊朗展–2017 断面”Cross Section”–を見に、Shonandai MY Galleryに行ってきました。

地下鉄千代田線の乃木坂駅6番出口から、国立新美術館に入り、美術館の一階を通り抜けて正門に抜けました。国立新美術館では、おりしも、ミュシャ展が開催中で、入場まで70分待ちの長い長い行列が建物の外まで伸びていました。大人気です。

美術館の正門を出てから、道を渡って、反対側の階段を降り、裏通りに入りました。一本目の路地を右手に入ると、右手に、山口俊朗展の看板が見えました。古ぼけた感じの看板の周りの板と、ポスターの中の作品の色合いが妙にマッチしています。

Yamaguchi_Toshiro_01  入口の看板

外階段を3階まで上がると、展示会場の入口がありました。展示会場は、手前と奥の二つの部屋に分かれていました。山口さんの展示は奥の部屋で開催中でした。奥の展示会場に入ると、山口さんと作品とが出迎えてくれました。

Yamaguchi_Toshiro_02  2017 Cross Section 4, 90 cm x 90 cm mixed media

画面一面に何やらびっしりと模様が描かれています。ところが、油絵でもなければ、アクリル絵の具でも、水彩画でも、日本画でも、版画でもない様子。これはいったい何でしょうか???

Yamaguchi_Toshiro_03  2017 Cross Section 4, 90 cm x 90 cm mixed media, 部分

近づいて、よくよく見てみると、細かい模様が描かれているのですが、規則性があるというわけでもなく、かといって、まったく完全にランダムというわけでもない。

山口さんご本人にお尋ねしたところ、これは和紙の上に透明の絶縁テープを貼り、その上から、水性のペンキを塗って、後からペンキを拭き取るのだそうです。絶縁テープの隙間から、ペンキがしみ込んで和紙に色がつくという手順を、繰り返し踏んで作られるそうです。

絶縁テープの貼り方や、水性ペンキの色を変えると、異なった風合いの作品ができる、ということのようです。遠目には、爬虫類か何か、動物の革のようにも見えますが……

Yamaguchi_Toshiro_04  2017 Cross Section 3, 90 cm x 90 cm mixed media

近づいてみると、確かにテープのような直線と、穴あけパンチで開けたような穴が見えました。表面のてかり具合は、ビニルテープのものだったんですね。下地が和紙なので、完全に人工的な素材にも見えない。小さい四角い切り込みが見えますが、これは切符を切るはさみを使っているとのこと。びっくりです。

Yamaguchi_Toshiro_05  2017 Cross Section 3, 90 cm x 90 cm mixed media, 部分

このような技法は、山口さんが、8年ほど前に、木を使った立体作品を制作中に、偶然見つけたものだそうです。このような技法に気が付いてからというもの、平面作品の制作に没頭し、あれや、これやと、いろいろな方法で試してみているとのこと。

Yamaguchi_Toshiro_06  2017 Cross Section 13, 90 cm x 90 cm mixed media

こちらの作品では、ペンキを完全に取り除かずに、わざと部分的に残しています。それによって、層状の構造が見えていて、また異なった質感が出ています。

山口さんは、これからも生涯かけて、この手法に取り組みたいとのことです。楽しそうですね。