大岩オスカール、「光をめざす旅」を見てきました

金沢21世紀美術館で企画展、大岩オスカール「光を目指す旅」を見てきました。

金沢まで実際にやってきて、よくよく古いものと新しいものが混じり合っている街であることに感心しました。21世紀美術館のような現代的な建築もあれば、一歩路地に入り込むと、江戸時代にタイムスリップしたような建物が並んでいる場所があったりします。古い木造の建物の中に一歩足を踏み入れると、中はギャラリーになっていて、九谷焼や金箔のような伝統工芸の技術を使って、現代の作家さんたちが新しい作品作りに挑戦していたりします。

展示会場の入り口

大岩オスカールさんはブラジル生まれで、少年時代から大学まではサンパウロで過ごしたそうです。日本にやってきたのは、大学を卒業した後のこと。最初のころは、建築会社に勤めながら絵を描いていたそうです。そのせいか、日本の風景を見るときに、彼独時の視点があるようです。

首都高を走る船, 2016 油彩/キャンバス

金沢という地でこの絵を見たからなのかもしれませんが、一枚の絵の中に古いものと新しいものが渾然一体として描かれているところが、大岩オスカールさんの絵の面白いところなのかもしれない、と思いました。運河を使った水運交通が江戸時代の物流の中心であったのに対して、現代の物流の中心は高速道路。異なる時代の主役が一枚の絵の中に積み重ねるように描かれているようです。

絵を見ているときには、これは現場で作家の頭の中に去来したイメージを描いたものなんだろう、と理解したのです。ところが、展覧会を見た同じ日の夜のニュースでは、2020年東京オリンピックで予想される交通渋滞の緩和のために、試験的に運河を航行する水上バスで通勤客を運ぶ実験が行われているとのこと。今でもまだ、水上交通が機能として生き残っていたことにびっくりです。大岩オスカールさんは3年前、この絵を描いていたときに、いずれまたこうなるだろうということを、すでに予見されていた?

美しい茅の家, 2009 油彩/キャンバス

小さくてわかりにくいのですが、樹の枝のあちらこちらに、昔の日本の道具類の数々が描かれています。かまどや囲炉裏、桶や脱穀機でしょうか? これは、ほんの少し前まで、日本人の生活が自然と渾然一体になっていたことを、なぜだか、ブラジル育ちの大岩オスカールさんが、表現しようと試みたようです。

ライトショップ, 2018 油彩/キャンバス

ちょっと古い街の電気屋さんの店内から光が発散しているようです。タイトルは「ライトショップ」。つい20年から30年前には、街の電気屋さんが、今よりももっとたくさん、あちらこちらにありました。そういわれてみると、当時の街の電気屋さんでは、単に電気製品を売っていたのではなく、人々の夢や希望を売っていたような気もします。ということを、何故だか当時日本にいなかったはずの大岩オスカールさんは良くご存じのようです。

光をめざす旅, 2018 油彩/キャンバス

サンパウロ、東京、ニューヨークと、大岩オスカールさんの旅は、混沌とした現実の中に身をおきながらも、光をめざす旅だったのでしょうか? そして、めざす光は見つかったのでしょうか? これから、私たちはどこに向かっているのでしょうか? 展示会場では大岩オスカールさんのインタビューの様子がビデオで流れていました。光は、自分たちの心の中にあるのだ、というようなことをおっしゃっていたようです。少し勇気づけられました。


黒い猫と白いうさぎ

少し余談です。展覧会場では、黒い猫と白いうさぎの立体作品を目にしました。会場外側の廊下です。立体作品は少なかったので、記憶に残りました。

シャドウキャットとライトラビット, 2018 ブロンズ

そういえば、黒い猫と白いうさぎのモチーフは、展示会場の外側、廊下の大きな壁画にも出てきました。

壁画ドローイング<<森>>

さて、いったいこれは何を表現しているのだろうと気にはなっていたのですが、いつの間にか忘れてしまいました。ところが、しばらくたって山種美術館を訪れ、速水御舟展を見ていた時に、屏風絵に描かれた同じ黒い猫と白いうさぎのモチーフを見かけて、はっとしたのでした。ちなみに、この作品のみ写真撮影が可でした。果たしてこれは偶然なのでしょうか?

  
速水御舟、翠苔緑芝(部分)/山種美術館

未来抽象芸術展に行ってきました

「 未来抽象芸術展-芸術家の挑戦-新しい芸術は、小さなチャレンジから生まれる」を見に、全労済ホール/スペース・ゼロに行ってきました。新宿駅の南口改札を出て、甲州街道沿いから一つ裏道に入った角のところに会場の入り口を見つけました。 15人の作家が「チャレンジ」をテーマにして制作した作品が展示されているそうです。

展示会場の入口と案内板

展示会場に入ると、ちょうど作家のタシロサトミさんのアーティストトークが、作品の前で始まったところでした。

タシロサトミさん、relationship #19

タシロさんご本人の説明の後、この絵のモチーフについてお尋ねしてみました。最初のころは古びた靴やバッグなどをモチーフにして描いていたのですが、だんだんと抽象化されていって、具体的な物ではなくなっていったのだそうです。とはいえ、抽象化された後も、依然として使い古されたものへの愛着を表現したいという気持ちは変わらないそうで、タイトルの”relationship”には、持ち主と物との関係、という意味もあるそうです。作品の厚みは物の存在感や物質感を強調するのに役立っているようです。鮮やかな原色ではなく、中間色を使っているのもそのため。角が丸くなっているのも、使っているうちに、だんだんと丸みを帯びてくる様子を表現したいのだそうです。

作品の裏側

作品の反対側に回ってみると、意図的にされたものかどうかはわかりませんでしたが、ガラス越しに裏側も良く見えるように展示されていました。角を丸めるところにずいぶんと苦心された痕跡がみられます。なかなか、この作業は大変そうだ。

さて、その隣の展示スペースには丸いテーブルのようなものが置いてありました。テーブルの上には、何やらいろいろなものが、所せましと置いてありました。

日比野猛さん、「在る世界(archetype)」

作家の日比野猛さんによると、会期中ここで作品を実際に制作しているところなのだそうです。真ん中にあるプロペラは、絵の具を乾かすためのもので、電池を接続するとちゃんと回るところを見せてくださいました。その下に漏斗のようなものがありますが、ここに余った残りの絵の具を流すと、下のガラス板に溜まっていずれ自然に乾くのだそうです。左手前の丸みを帯びた板は、型のようなもので、これで同じサイズの作品を何枚も作っているのだそうです。

設計図?

その横には設計図のようなものがありました。かなり精密に計算されているようですが、元となっているのはフィボナッチ数列だとのこと。考えようによっては、数学も抽象表現の一形態といえるのかもしれません。そしてその横には、何故だか裸婦のスケッチがいくつか…。この曲線の形は裸婦のイメージでもあるそうです。わかったような、わからないような…。できあがった作品もさることながら、制作のプロセスや道具のほうもかなり面白いですね。

気が付くと、少し離れた場所では、片桐十三夏さんによるアーチストトークが始まっていました。

アーティストトーク中の 片桐十三夏さんと作品「変化」

大理石の壁に自然光が差し込んで、複雑な形の作品の陰影が、立体感をさらに際立たせているようです。よく見ると作品の表面にも、わずかに窪んだところがありました。溶剤を使うと、表面が少し溶けて窪みができるのだそうです。この作品の制作にあたっては、まずはホームセンターで発砲スチロールを買ってきて、自分でカッターを使って切断するところから始まるそうです。

今日お会いした作家さん達のお話から、抽象的なイメージを表現をするために、具体的な素材や道具と格闘している様子が伝わってきました。表現したいものが抽象的であればあるほど、逆に素材やプロセスについては具体的な物に依存する度合いが強くなっているように感じられたのは、意外でした。 自分の頭の中にしかないイメージを、他の人にできるだけ忠実に伝えるためには、何らかの形で物質を仲介させる必要があり、それは制約といえば制約になっているのかもしれないのですが、何をどのように利用して表現するのか?というところが、それぞれの作家さん達の腕の見せ所であり、オリジナリティーにもなっているようです。既製品であふれている時代にあって、イメージを表現するため、だけのために、気の遠くなるような手間ひまをかけて、物質と格闘し続けているのが、現代アーティストという人たちなのかもしれません。

Attending Tea Ceremony hosted by Tom Sachs

I have attended Tea Ceremony hosted by Tom Sachs from New York City held in Tokyo Opera City Gallery. He seems an orthodox successor of Sen no Rikyu, the founder of Tea Ceremony about 400 years ago, proposing a unique style in hospitalization of guests with a slight flavor of contemporary art.

Entrance of the tea ceremony

It seems preferable for guests, especially for beginners, to learn the basic flow of tea ceremony in advance by watching video. But actual flow of ceremony could flexibly change depending on season, weather or the relationship between guest and host.

Video to learn the basic flow of tea ceremony

Tea utensils are important part of tea ceremony.  So take your time to check and enjoy the items manually prepared by the host one by one from industrially ready-made products.   

Items including tea cup, spoon and the others are all hand-made by the host expressing hospitality

Carefully watch the selection of hanging scrolls because it could contain important nonverbal message from the host. 

The circle probably meaning harmony of the world

It might be a good manner for guests to show gratitude by sending short message to the host using social media before or soon after leaving the ceremony. 

沖元かおる展 -出来事と事件-に行ってきました

「沖元かおる展-/ Works on Paper-出来事と事件-」を見に、ギャラリー「つぎのカーブ」に行ってきました。

地下鉄丸の内線、新宿御苑前駅の3番出口を出て、大通り(新宿通り)からローソンの横の脇道に入って少し行くと、右手にラーメン屋さんがあり、その横の壁に、「沖元かおる展」の案内を見つけました。矢印が示す方向にある階段を登れ、ということのようです。

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通りに面した壁の案内

階段を3階まで登ると、マンションの一室の扉に、いろいろなものが雑多に貼ってありました。どうも、ここがギャラリーの入口の様子です。ちょっと勇気を出して扉を開けて、中に入ってみました。

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ギャラリーの入口

ギャラリーといっても、内部は普通のワンルームマンションのようです。玄関には段があり、スリッパに履き替えて、室内に入ると沖元さんと、ギャラリストの都守さんが出迎えてくださいました。都守さんご自身も作家さんなのだそうです。このギャラリーを開いてもう7年とのことでした。

ぐるりと室内を一回りして、一通り作品を拝見しました。これまで拝見した沖元さんの個展では、「井の頭公園のバイオリニスト」がテーマだったり、「抽象画」だったりしたのですが、今回の個展では、特に決まったテーマは無いように見えます。沖元さんにお聞きしたところ、壁に貼られた一枚の紙に沖元さんのメッセージが書かれているので、読んでみてほしいとのこと。

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沖元さんのメッセージ

なるほど、「これまで何かにとらわれていたので、今回はそれを壊してみた」そうなのですが、その一方で、表現したいものについては、バイオリニストのときから、ずっと一貫して変わっていないのだそうです。

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フラワーベース

この作品は、包み紙に描いたそうですが、紙の端が破れたままですし、梱包に使われていたテープもそのまま残っています。いつものことですが、画材へのこだわりの無さにはびっくりさせられます。しかも、それが奇をてらったもの、とは感じさせないのが不思議です。それが沖元さんの「とらわれない」ということなのかもしれません。とはいえ、一方で、そこには、何かしらの必然性があるようにも思えてきます。

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ハッピードローイング

例えば、キャンバスに油絵の具で作品を描いて、きちんと保存すれば100年後でも、200年後でも鑑賞に堪える可能性が高いと思うのですが、そんなことには、一切重きを置いていらっしゃらない。そうではなくて、その時、一瞬に感じたことを、そのまま何とかして画面に表現することに苦心をしていらっしゃるように見える。だから、いちいち下絵など描いていられない。いちいち木枠にキャンバスなどを貼ってるうちに、折角の貴重な一瞬が消えてしまう。

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狙いネコ

それは沖元さんのこだわりでもあり、闘いでもあり、作品の魅力にもなっているように思われます。

その一方で、ふと、沖元さんの場合、「とらわれない」ことに、「とらわれる」必要も、あまり無いのではないかとも、思われました。例えば、「バイオリニスト」に「とらわれていた」時の個展では、展示ギャラリーの部屋中にバイオリンの音が鳴り響いているように感じられて、びっくりしました。あれは、「とらわれていた」というよりも、むしろ「共鳴していた」、と表現したほうが適切かもしれません。そして、それは沖元さんにしかできないような展示だったような気がしました。

東京五美術大学連合卒業・修了制作展に行ってきました

東京五美術大学連合卒業・修了制作展を見に、国立新美術館に行ってきました。今年は、どんな作品に出合えるのか楽しみです。

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入り口の看板

先日、Taro賞で段ボールで作った作品を拝見したばかりのせいか、今回も段ボールの作品が気になってしまいました。素材として段ボールを選択する理由が、リサイクルができて地球にやさしいから、というよりも、もっともっと積極的な意味がありそうな、なさそうな。

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鴇田拓真さん「自然体2」

なぜか、ポーズが良く似ている作品を見つけました。右手をだらりと下げて、左手は後ろ側に回しています。顔もちょっと似てるかな。ただし、かかとは、裸足で両脚とも少し浮かし気味。

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土井原裕一さん「ヒト」

一方、裸足のかかとを浮かした、ふくらはぎばかり描いた作品も見つけました。

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小島七海さん「あしなみ」

かかとを上げているバレリーナの絵もありました。ドラマチックな感じがして、ちょっとだけ、ロバートハインデルを思い出しました。

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渡邊真由子さん「行手」

こちらの方は、かかとが無いためか、尻尾をちょいと上げて、宙に浮いていらっしゃる。

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山本果希さん「PRINCESS OF ABYSS」

こちらは、野菜や食パンが、ふわふわと宙に浮いている感じがします。

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中屋胡桃さん「専用キャンバス」

いつも、油彩画の写真撮影は難しいなと感じています。油断していると照明の光が絵の表面で反射して写ってしまう。こちらの作品は、それを逆手にとって、プロジェクタから光を当てて、その反射を作品の一部として利用しています。面白いな、と思いました。

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上野真希さん「かさねる」

第22回TARO賞展に行ってきました

第22回TARO賞展、正式には「岡本太郎現代芸術賞展」というのだそうですが、を見に、川崎市岡本太郎美術館に行ってきました。毎年、「何だこれは!!」の精神にあふれた作品を数多く拝見してきましたので、今年はどんな作品に出合えるのか楽しみです。

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展示会場の入口

展示会場に入ると、目の前に大きな金貨が現れました。

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赤穂進さん「金貨の肖像」(表面)

アートはお金にならない、とはよく言われますが、それならアートでお金を作ればよい、と考えられたのかどうかはわかりませんが、立派な堂々とした金貨です。描かれているのはマルクスなのだそうです。横に回ってみると、側面にもちゃんとギザギザがついている。もしこれが本物の金貨なら、一億円くらい、あるいはもっとするのでしょうか?

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赤穂進さん「金貨の肖像」(裏面)

裏に回ってみると、この通りでした。円形の枠にキャンバスを張るところや、固定の仕方など、いろいろと苦心された跡が伝わってきて、別の意味で感動ものです。

こちらでは、直接お金の展示というわけではありませんでしたが、その代わり「賽銭」と書かれた板や石がたくさん展示されていました。

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大槌秀樹さん「名もなき神々」

素材は、廃村となった集落の神社周辺などから集めてきた板や石などのようです。横の壁には、ご自身が上半身裸になって、山の中で見つけた作品の素材を手にしているらしい写真が展示されていました。

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大槌秀樹さん「名もなき神々」(側面)

タイトルの「名もなき神々」というのは、もしかしたら、ご自身も含めた「名もなきアーティスト達」を指す比喩なのかもしれません。名もなきアーティスト達に、もっとお賽銭をくださいな、という意味なのかな?

お金がなくてもアートはできる、という心意気を示すような作品もありました。捨てられていた段ボール紙で、仏様と十二神将の像を作られた、二重の意味で、お見事な作品です。

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本堀雄二さん「捨てる紙あれば、拾う神あり」

展示が終わったら、また段ボールとしてリサイクルできる、という究極的にエコな作品です。お見事。

こちらの作品も素材には、極力お金をかけていなさそうな、サンドペーパーの表面に、小石を使って絵描かれた作品です。作品の手前には、実際に制作に使ったという小石も展示されていました。

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藤原史江さん「森羅万象」(左)と小石(右)

そういえば大昔の人々は、洞窟の岩壁に、こんな風にして絵を描いていたのかなあ、と思いました。サンドペーパーも材料は紙と砂ですから、環境にはやさしそうです。

一方、アーティストにもお金が必要なときもあって、そんなときには社畜のようにして働くこともあるようです。イガわさんは、社畜のように働いているときに、選挙があって、とても選挙のことまでは考えられない、でも選挙にはいかなくちゃならない、という状況の中で、この作品のアイデアが浮かんだそうです。

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イガわ淑惠さん「民主主義キョウセイマシーン」

このポスターの裏側には、投票所があって、作者のイガわさんから投票の仕方をていねいに教えていただきました。歩きながら、次々にスクリーンに表示される質問に対して、短い時間のうちに「賛成」「反対」どちらかに丸をつけなければならない、という体験型の作品です。もたもたしていたら、回答を記入する前に、横からどんどん投票用紙を取られてしまいました。歩きながらだととても考えられないでしょ、ややこしい質問に対して「賛成」「反対」の二者択一などではとても答えられないでしょ、という選挙制度の抱える矛盾を、身をもって体験させていただきました。ちなみに、このややこしい機械の制作にはご主人が協力してくださったそうです。

語る抽象画展 vol.8でヘンミモリさんの作品を見てきました

A.C.T (アートコンプレックスセンター)で「語る抽象画展 vol.8」を見てきました。本当は、KURUM’ART Contemporaryの車さんから、 ご案内をいただいて、「アートディレクターセレクション−今一押しの抽象作家展−」というグループ展を見に行ったのですが、展示会場には車さんも作家の方もおられなかったので、同時開催中の「語る抽象画展」をぶらぶらと、あてもなく拝見してきました。

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入り口の案内板

2階に上がって、どちらの会場でも、なかなか面白そうな作品がたくさん展示されていたのですが、あいにく時間帯が良くなかったのか、なかなか作家の方とお話しはできませんでした。

そんななかで、最後に入った展示会場で、作家のヘンミモリさんが声ようやくをかけてくださいました。

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ヘンミモリさんの展示

ヘンミモリさんの作品は、他の作家さんの作品とは異なって、透明な板に描かれています。透明なアクリル板の上に、アルコールインクや蜜蝋を使って描いているそうです。色は鮮やかなのですが、いったい何が描かれているのか、判然としません。抽象画なのだから、当たり前かもしれません。一応、モチーフが何かあるのかお聞きしてみましたが、特にないそうです。描き始めるときに、何かイメージがあるのかお聞きしましたが、これも特にないとのこと。弱ったなアと思っていたら、「でも描いているうちに、ちょっと、実家の庭に似ているかなあ、とか思うことはあります。けっこう庭が好きなんです。」と、助け舟をだしてくださいました。宮城県石巻市のご実家には、けっこう広い庭があるそうで、その庭が好きだったそうです。

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溶食, Erosion, 2018, 273 x 220 mm

そう言われてみると、この作品には、ちょっと庭の植物のイメージがあるかもしれません。透明な部分はアクリル板そのままで、不透明な部分には蜜蝋を使っているそうです。お好きなお花は何かお聞きしてみたところ、「ポピーです。道端に生えてるようなやつ。」そういえば、ヘンミモリさんの言葉の端々から、道端に生えている雑草のような、転んでもただでは起きないというような、逞しさ、頼もしさを感じました。作品も生き方も、なかなかに、あっぱれです。

青木三篠個展-粛々たるおしまいを僕らに-に行ってきました

青木三篠個展-粛々たるおしまいを僕らに-を見に、コート・ギャラリー国立に行ってきました。JR中央線、国立駅のnonowa口から出て、食料品売り場を抜けて、道路を渡るとすぐに、個展の会場が見えてきました。歩いて1分ほど。

青木さんの個展を拝見するのは、ギャラリーb.トウキョウでの「珊瑚城の夢は醒めない」以来です。

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個展会場の入口

個展会場に入る手前のロビーにも一枚絵が展示されていました。この絵は、旧約聖書のアブラハムとその息子イサクの物語を描いたものだそうです。神の命に従って、息子を犠牲にしようとするシーンでしょうか? タイトルの「Q13」は、イサクをもじってつけたとのこと。

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Q13

展示会場に入ると、青木さんご本人が出迎えてくださいました。個展のタイトルともなった「粛々たるおしまいを僕らに」は、今年の7月の豪雨のときに、出身地の広島県での多くの被害が伝えられる中で、まるで何もなかったかのように毎日を粛々と暮らすご自身に、歯がゆい思いをしながら、この作品を描いていたとのことです。背景の十字架に見えるのは窓の枠だそうですが、犠牲者への祈りを表しているようにも見えます。くっきりとしたコントラストや、左右対称な画面構成は、青木さんのこれまでの作品には、あまり見られなかったように思いました。

ちなみに、画号として用いておられる「三篠(みささ)」は、ご実家の近くの三篠神社から取られたとのこと。

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粛々たるおしまいを僕らに

「正方形のつくり方」という作品は、「博士の愛した数式」という小説からヒントを得たそうです。そういわれてみるとこの絵は、事故のために短い時間しか記憶を保つことができなくなってしまった数学者の博士が、新しくやってきた家政婦さんの息子の頭をなでて、「良い形だ」といって平方根を意味する「ルート」と名付けるシーンを想い出させます。小説の中では、家政婦さんが博士の話に感銘を受けて、身近な数字のなかから、素数を見つけ出しては喜ぶというシーンがありましたが、青木さんも、日常に潜んでいる、素数を見つけ出して、絵のモチーフに仕立ててしまうのが上手なのかもしれません。上手というよりも、お見事です。この小説の内容を、「正方形のつくり方」ととらえてしまうこと自体、「あっ、そういう読み方もできるの?」と思わず感心してしまいました。例えば、地面にうっすらと描かれている半円形は、博士の愛した数式である、e+1=0を連想させるように、青木さんの絵には、さりげなく秘密が隠されているようです。

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正方形のつくり方

今回の個展では、油彩画だけではなく、線画(ドローイング)の作品も数多く展示されていました。この作品は、まさに、身近な紙切れから、正方形を作ろうとしているところなのかもしれません。後ろには、赤い花がたくさん描かれています。

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ドローイングの作品

青木さんは、大学を卒業されて、社会人になられたとのこと。社会に出てクルクル回っているうちに、いつの間にか角がとれて丸くなってしまうのが普通で、それはそれで大切なことかもしれません。

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ドローイングの作品

でも作品を見る者にとって、青木さんの作品は、なぜだか、この絵に描かれた小さなろうそくの灯のように、心を照らしてくれるものがあるような気がしています。どうか「粛々とおしまい」にしたりしないで、またの機会には、是非、青木さんが見つけられた、新しい素数や、正方形を拝見できたらいいな、と楽しみにしています。

仁科幸恵展に行ってきました

仁科幸恵さんからご案内のはがきをいただき、代官山のギャラリー子の星に行ってきました。

せっかく代官山まで来たのだから、少しはぶらぶら歩きを楽しもうか、とも思ったのですが、東急東横線の代官山駅の北口改札から直接つながっている、歩道橋の上を通って、できるだけ最短距離でギャラリーに向かうことにしました。ギャラリー子の星に行くのは、今回で三回目なので、道に迷う心配は全くありませんでしたが、とても暑い日で、まるで蒸し風呂の中を歩いているようでした。途中で熱中症になって、展示会場までたどり着けないのではないかと、そちらの方が心配でした。

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ギャラリーの入口

入り口の扉を開けると、仁科さんご本人が出迎えてくださいました。展示室は冷房が効いていて涼しく、まずはそれでホッとしました。

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「ハハコハナ」 油彩・パネル

案内のはがきにも使われていた母子の絵が展示室の正面に展示されていました。西洋絵画でよく見かける、典型的な「聖母子像」とよく似たポーズです。仁科さんは、オーソドックスなモチーフをまっすぐ真面目に描かれておられるようので、もし、他の絵もみんな同じような描き方をされていたらどうしようと、ギャラリーに着くまでは、少々気が重く感じていたのでした。

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「母。」 油彩・パネル

ところが、奥の小部屋に入ってみると、ご自身のお母さんを描かれたという、こんな絵も展示されていました。広いショッピングセンターを歩き疲れた足を、椅子に座って休ませているところなのだそうです。目が悪いとのことで、本を離して読んでいるのだそうです。それは、私も同じなのでよくわかります。さきほどの絵がよそ行き顔だとすると、こちらは日常を描いた普段着の絵なので、それでまた、なんだかホッと肩の力が抜けました。しかしながら、これこそが現代では「聖母像」なのかも知れないと、ふとそんな気もしました。

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「こももちゃん」 油彩・パネル(個人蔵)

一方、こちらは、お客さんに依頼されて描いた絵なのだそうです。まるで今にも動き出しそうに良く描かれていますが、首には青いバンダナを巻いてもらって、少し、おすまし顔のようです。

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「テツ」 水彩・紙

同じ動物でも、こちらは以前、ご自宅で飼っていた猫だそうです(タイトルでも名前を呼び捨て…)。こちらは、少しいたずらっぽくて、なれなれしい普段着の顔のようです。仁科さんは人間の顔だけでなく、動物の顔までも、よそ行き顔と普段着の顔とを描き分けれていらっしゃるのかと、感心しました。

椹木野衣「感性は感動しない-美術の見方、批評の作法」を読みました

椹木野衣「感性は感動しない-美術の見方、批評の作法」を読みました。

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たまたま時間が空いたので、ふらっと本屋に行って、特にあてもなく書棚を見ていたのですが、ふとこの本のタイトルが気になったので、2,3ページめくったところ、いきなり岡本太郎の次のような言葉が出て来たので、思わず買うことに決めてしまいました。つまり、この本との出会いは、たまたま偶然というわけです。

「岡本太郎は感性について次のように言っている。

感性をみがくという言葉はおかしいと思うんだ。
感性というのは、誰にでも、瞬間にわき起こるものだ。
感性だけ鋭くして、みがきたいと思ってもだめだね。
自分自身をいろいろな条件にぶっつけることによって、
はじめて自分全体に燃え上がり、
広がるものが感性だよ。
(『強く生きる言葉』イーストプレス24ぺージ)」

家に帰る途中の電車の中で、さらに読み進めたのですが、ふむふむなるほど、やっぱりそうか、と思うことが、あちらこちらに書かれていたので、思わず「良い本を買った」と思ったのでした。

さて、この「良い絵に会ってきました」というブログでは、美術館やギャラリーに出かけて行き、いろいろな絵を拝見しては、家に帰って、拝見した絵の感想を書く、ということを勝手に続けているのですが、自分としては絵の素人なので「批評」などというのは、とてもとても大変におこがましいと思っています。どちらかというと、頑張って作品を作り続けておられる作家の方たちに少しでも「応援」や「励まし」になれば、と思って始めたことですが、それさえも、押しつけがましいのではないかと、常々感じています。

ただ、絵を拝見させていただき、それを短いながらも文章にする、という作業を繰り返しているわけなので、いわゆる「批評」というものと、結果的には、やっていることは似ているかもしれません。それで、どの段階で言葉が出てくるものなのか?と、わが身を振り返ってみたところ、必ずしも美術館やギャラリーにいるときではない、というのは確かです。家に帰る途中の電車の中であったり、家に帰ってからも何も言葉が浮かばず、とりあえずパソコンに向かってみて、展覧会のタイトルだけでも書いておこうか、というときになって、ようやく言葉が浮かんで来り、あるいは一晩寝て、「あっ、もしかするとこういうことかもしれない」というふうに、何かに気付いてみたり、といったことの繰り返しなのです。

ところが、公募展の最後に行われる講評などをお聞きしていると、先生方は、つぎからつぎへと、絵に関する言葉を、その場で紡ぎ出しておられるように見える。

このような違いは、自分は絵に関係した教育を受けているわけでもないし、ましてや職業にしているわけでもないので、こういうことについては、極めて鈍い人間だからであろう。うすうすながら、そのようにして納得していたのですが、この本を読ませていただき、職業として批評をされている方でも、絵をみるときには渾然一体とした「かたまり」として見ていて言葉にしない、いざ文章を書く談になって、言葉として出力するものらしい、ということがわかっただけでも、大変な収穫でした。

比べること自体、大変おこがましいのですが、岡本太郎によれば、「誰でもがそれぞれの感性を持っている」ということのようなので、的外れなことも多いとは思いますが、なにとぞ大目にみていただきたいと思っています。